戦争の不条理と
平和の尊さを知ってほしい
昭和20年8月1日に、1、488人の尊い命を奪い市街地の8割を焼け野原にした長岡空襲。76年がたった今も、空襲を体験した人によって史実が語り継がれています。
平和の尊さを知ってもらうため、戦争の悲惨さを次の世代に語る白石美千雄さんにお話を聞きました。
白石 美千雄(しらいし みちお)さん 昭和11年8月15日生まれ。今年の終戦の日で85歳になります。小学校の教員を40年務め、子どもたちへ空襲体験を話してほしいと依頼されたことがきっかけで、語りを始めました。 空襲から生き延びた心境や日々の出来事を俳句や短歌として残し、平成13年から詠み続けた作品は3,900に上ります。 |
白石さんは空襲当時、中島国民学校(現・中島小学校)の3年生で8歳でした。
「食糧は配給に限られ、とにかく食べる物がありませんでした。ぜいたくも禁止され、浪曲を楽しんでいた父が自警団に注意されたことを、子ども心につらく感じました」。
空襲の4日前、白石さんの家族のうち、妊娠中の母と病気の兄、幼い妹2人は母の実家へ疎開しました。
「空襲の時、家にいたのは私と父、姉2人です。今思えば、疎開していなければ一家が全滅していたかもしれません」。
8月1日の午後10時過ぎ、サイレンの音で白石さんは外に飛び出しました。
「すぐに家から火が上がり、間一髪のところで助かりました。辺り一面はたちまち火の海に。泣き叫び、助けを求める声が聞こえ、さながら地獄絵図のようでした」。
わずかな望みをかけて向かった柿川で、死を覚悟したといいます。
「家から持ち出した2枚の布団をかぶり、石垣に体を張り付けるようにして上流を目指しました。ようやくたどり着いた霞かすみ橋の下は避難者がいっぱいで、熱炎と酸素不足のため呼吸ができません。『私たちもここで死ぬんだ』と、生と死の間をさまよいながら数時間耐え続けました」。
奇跡的に生き延びた白石さんらは空襲後、家族の疎開先に身を寄せます。戦争が終わっても、すぐに平穏な日々は訪れませんでした。
「いじめとでも言うのでしょうか。疎開先の地域の子どもたちと相撲を取った時『焼け出され?に負けるな』と言われたり、熟れていない青い柿を投げて与えられたり。疎開先の人たちも自分たちの生活を守るのに必死だったんでしょう。社会全体に余裕がなかったように感じます」。
白石さんは戦争を知ることの意義をこう語ります。
「母親から教わった『我が身をつねって人の痛さを知れ』ということわざを自戒として生きています。自分の痛みは他人の痛み、その痛みを知れ、ということです。平和の尊さを知るためには、戦争のむごさや不条理を知らなければならない。そのために私は空襲体験を語っています。他人の痛みを思う優しさと寛容な心を持ち、いつまでも平和が続くことを願います」。
風化など させてはならじ
老いの身を
奮い語りぬ 長岡空襲
白石 美千雄
▲柿川に架かる霞橋で、命を救ってくれた橋への感謝と
空襲犠牲者への哀悼の想いを胸に、手を合わせる白石さん
▲空襲直後の柿川(船江町付近)。
白石さんが実際に目の当たりにした光景です
8月 平和を祈る行事
【問】 庶務課 TEL 39-2203
【1日(日)】
※1〜3、5の行事は関係者のみで行います
❶ 戦災殉難者慰霊祭
時間 午前6時から
場所 平潟神社社殿(表町1)
❷ 戦災殉難者墓前法要
時間 午前7時から
場所 昌福寺(四郎丸4)
❸ 空襲で亡くなった子どもたち・教職員と市民
を追悼する集い〜2021平和祈願祭〜
時間 午前8時〜8時30分
場所 平和の森公園(本町3)
❹ 長岡市平和祈念式典
時間 午前9時〜9時40分
場所 アオーレ長岡
❺ 柿川灯とうろう籠流し
時間 午後10時30分から
場所 柿川(一之橋〜追廻橋付近)
※正午から長岡青年会議所の公式
YouTube(ユーチューブ)で、平和を考える動画を配信します
❻ 慰霊の花火の打ち上げと梵鐘の打ち鳴らし
時間 午後10時30分から
【1日(日)〜3日(火)】
● 鎮魂たむけの花・長岡空襲殉難者遺影展示
時間 午前10時〜午後4時(1日は午前9時40分から)
場所 アオーレ長岡
【31日(土)まで】
● 長岡空襲殉難者遺影展・戦災住宅焼失地図展
時間 午前10時〜午後4時
場所 長岡戦災資料館
【11日(水)〜22日(日)】
● 平和作品の展示
場所 まちなかキャンパス長岡
〈入賞者(敬称略・順不同)〉
▶作文の部…
尾崎史織(しおり)(南中2年)、山田眞綾(まりん)(南中2年)、大ア憐音(れのん)(秋葉中2年)
▶ポスターの部…
吉原愛華(あいか)(宮内中3年)、櫻井美緒(みお)(秋葉中3年)、橋怜愛(れいな)(秋葉中3年)
▶標語の部…
小湊彩菜(あやな)(南中2年)、安井悠希(ゆうき)(南中2年)
空襲を体験した世代の高齢化が進み、当時を語れる人が少なくなっています。そんな中、市は空襲の史実と記憶、そして平和を願う想いを決して風化させないため、さまざまな方法で継承に取り組んでいます。
長岡戦災資料館の運営ボランティアを長年務めた故金子登美さんに感謝状を贈ります。 金子さんは11歳の時、長岡空襲で父と姉を亡くしました。平成15年7月に資料館が開館すると、同館の語り部として空襲体験を伝える活動を始めました。小・中学校などで行った講話は300回に上ります。 平成27年、令和元年の平和祈念式典でも体験を語り、平和学習の促進と空襲体験の継承に大きく貢献されました。 |
色彩よみがえり記憶を伝える
AI(人工知能)の画像認識を活用した戦前戦後の白黒写真のカラー化を昨年度から進めています。2年目の今年は、東京大学大学院教授の渡邉英徳さん、東京大2年生の庭田杏珠(あんじゅ)さん、新潟日報社と協力して、昭和22年に撮影した千手小学校2年生の写真など5枚をカラー化します。
記憶の聞き取りに協力した空襲体験者の今泉恭子さんは「カラーだと、戦争を実際のこととして認識してもらいやすいです」と話しました。
千手小の写真は8月1日の平和祈念式典で展示するほか、市ホームページでも公開します。その他の4枚も年内の公開を予定しています。
次の“語り手”着実に
長岡空襲を題材にした紙芝居「みちこのいのち」の演者を育てる講座を令和元年から実施しています。紙芝居は、空襲で幼い娘を失った女性の実体験を20枚にまとめ、平成29年度に作成しました。市内の全小学校に配り、平和学習に活用しています。
講座には長岡戦災資料館の運営ボランティア7人が参加。受講した恩田洋子さんは「空襲体験者に共感した想いを、紙芝居を通じて多くの人に届けたいです」と意気込みを語りました。
今秋以降に小学校や資料館で公演することを目標に、さらなる演技力の向上を目指します。
【問】 庶務課 TEL 39-2203