毎年、4月30日・5月1日と7月31日・8月1日の春と秋の祭りに巣守神社境内の舞殿で奉納されます。比呂古・刀舞・五穀散・稲田宮(山田乃蛇退治)等総座25座で、奉納される舞は宵宮と昼宮とでは全く異なるのが特色です。
舞は古事記や日本書紀に伝えられる天照大神の天岩戸の段の古事を黙劇風に仕立ててある出雲流の系統で、見附市熱田の小丹生神社の神楽が源流とされています。明治14年、巣守神社の新しい神殿落成遷宮を記念して奉納されたのが始まりとされ、同年巣守神社掌安部氏の肝入りで、熱田の舞の達人である村沢久治氏を当地に招いて、村の若者4人がこれを習得しました。
舞具や装束・神楽面を調整しながら、安部氏宅において舞の技や太鼓・笛を習い、そして、明治17年5月1日、巣守神社春例大祭に神楽舞を奉納しました。当時の団体名称は巣守神社楽人と称します。舞の技を磨くことで、一時期、村内の組同士で技の競い合いも行われたことがあり、県内や会津まで出向き奉納したと伝えられています。
現在も毎年8月に、長岡の蓬平高龍神社大祭で奉納を継続しています。また、県内各地の各種イベントにも出演要請があり活発に活動しています。
囃子方と息の合った「舞子」と呼ばれる舞方の舞は特に優れています。
<長岡市指定文化財>