(1865年~1945年)
外交官で漢詩人。
長城と号す。
外交官書記生としてオランダ・メキシコに駐在、次いでブラジル・ルーマニア公・スウェーデン・メキシコの公使の要職につき、欧米の外交に足跡を遺す。
(1886年~1939年)
外交官として欧米に勤務。
その間ワシントン会議、ロンドン軍縮会議に出席。
昭和8年オランダ公使、翌年駐米特命全権大使に就任。
多難となった日米関係の調整に努めた。
(1872年~1950年)
長岡藩家老稲垣平助の娘。
アメリカに渡り、日本文化を紹介するため小説<武士の娘>を著わし、全米でベストセラーとなる。
その後数か国語に翻訳された。
(1891年~1969年)
長岡中学では詩人の堀口大学と同級。
漱石山房に出入りし、漱石の長女筆子と結婚。
<法城を護る人々>は寺院のあり方を問うた自伝小説で、ベストセラーとなる。
(1892年~1981年)
外交官堀口九萬一の子息。
父に従って欧米各地に転住、その間詩作と翻訳に専念。
訳詩集<月下の一群>は日本の近代詩に多大な影響を与えた。
昭和54年文化勲章受章。