高野 余慶 (たかの よけい)
秋山 景山 (あきやま けいざん)
(1758年~1839年)
藩校崇徳館の初代校長。
実際に役に立つ学問(実学)を重んじた儒学者。
眉の間に大きな瘤があり、「瘤の学者」と言われた。
<風俗間状長岡領答書>を編さんした。
伊藤 東岸 (いとう とうがん)
(1791年~1864年)
古義学派の儒者。
伊藤仁斎の曽孫。
忠精が京都所司代を務めた縁で京都から招かれ、崇徳館の校長となった。
それ以来、藩学の中心は朱子学から古義学に移った。
伊藤 東嶽 (いとう とうがく)
(1820年~1869年)
儒学者で東岸の養子。
京都に遊学し、帰ると藩主忠恭の侍読(教育者)となり、崇徳館の校長を務めた。
戊辰戦争の際は藩主が米沢で降伏するまで付き従った。
山田 到処 (やまだ とうしょ)
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