直江 兼続(なおえ かねつぐ)
与板城主となった兼続は、城下町与板の礎を築く。妻・お船の方とともに人々に敬われ、今でも直江家ゆかりの居城跡や鍛冶屋の伝統が脈々と受け継がれている。
兼続が薫陶を受けた名将・上杉謙信は、19歳で春日山城主(新潟県上越市)になるまでの青年期を栃尾で過ごし、「義」の精神を育んだ。兼続は謙信の意志を継ぎ、生涯自らの「義」を求め続ける。
直江兼続の実の弟「樋口与七」は、上杉景勝の命で坂戸(現在の新潟県南魚沼市)から、小国地域を治めていた小国氏に養子に入り、名を「小国実頼」と改めた。後に天神山城主(新潟市)となり、苗字を「大国」へと改める。
直江兼続の居城があった与板城跡(城山)からほど近いところに位置する三島地域。上杉謙信公や直江兼続が、出陣前の戦勝祈願に立ち寄ったといわれている。