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天地人 直江兼続

直江 兼続(なおえ かねつぐ)

直江 兼続

(1560年~1620年) 
 直江兼続は、永禄3年(1560)、坂戸城主(新潟県南魚沼市)長尾政景の家臣である樋口兼豊の長男として生まれた。幼名を与六といい、政景の妻仙桃院に見込まれ、景勝の近習になったという。天正9年(1581)9月の直江信綱死後、信綱の妻おせんを嫁として直江家を継ぎ、与板城主となった。山城守と称し、上杉家の執政として検地惣奉行・蔵入地奉行など強力な権限を与えられ、直属の家臣団である与板衆が兼続を支えた。
 慶長3年(1598)、上杉景勝の会津120万石移封に際し、米沢6万石の城代となり重臣中最大の知行を与えられた。同6年の関ヶ原の戦いで景勝は徳川家康と敵対したため、米沢30万石に減封されるが、兼続は家宰的立場を維持し、米沢城下の整備・藩政の確立に尽くした。
 元和5年(1619)に江戸鱗屋敷で死去(享年60歳)。遺骸は米沢の徳昌寺に葬られ、後に林泉寺(山形県米沢市)に改葬された。
「直江兼続の生涯」の画像
直江兼続の生涯
「愛」と「義」に生きた直江兼続。豊臣秀吉を魅了し、徳川家康にも一目おかれた智将として天下に名声を轟かせた。
「賢妻 お船の方」の画像
賢妻 お船の方
名将・直江兼続の妻・お船の方は、内助の功で多忙な夫を生涯支え続けた。聡明な女性であり、夫婦は仲睦まじかったという。
「直江兼続と与板衆」の画像
直江兼続と与板衆
景勝政権を実質的に支えたのは、兼続と兼続直属の家臣団である与板衆であったといわれる。

天地人ゆかりの地 与板地域

 与板城主となった兼続は、城下町与板の礎を築く。妻・お船の方とともに人々に敬われ、今でも直江家ゆかりの居城跡や鍛冶屋の伝統が脈々と受け継がれている。

「与板歴史民俗資料館(兼続お船ミュージアム)」の画像
与板歴史民俗資料館(兼続お船ミュージアム)
平成21年1月に全館を直江兼続の展示にリニューアルした資料館。ここにしかない兼続の銅像が迎えてくれる。「愛の甲冑(複製品)」が展示されているほか、「兼続の生涯」コーナー、「兼続と与板」コーナー、お船のふるさと・与板ならではの「天地人お船の方」コーナーがある。
「与板城跡(城山)」の画像
与板城跡(城山)
与板城は、上杉景勝の執政として活躍した直江兼続の居城である。もともと直江氏は本与板城を本拠としていたが、信綱の代に与板城へ拠点を移したと考えられる。
「本与板城跡」の画像
本与板城跡
本与板城は、もともと守護上杉氏の重臣である飯沼氏の居城といわれ、天文年間に長尾景虎(のちの上杉謙信)の命を受けた直江が、飯沼頼清を討伐して本与板城に入ったという。以後、景綱、信綱、兼続三代の居城であったと伝わっている。
「お船の方顕彰碑」の画像
お船の方顕彰碑
直江家の屋敷があったと伝えられる本与板。兼続の妻・お船が生まれたといわれている地に、「お船の方生誕御館跡」の碑が建立された。揮毫は「天地人」原作者の火坂雅志さんによるもの。
「まちの駅よいた」の画像
まちの駅よいた
城下町・与板の楽山苑前にある「まちの駅よいた」。平成23年4月にリニューアルオープン!与板地域の特産物である打刃物の販売や観光案内等を行っています。
「与板地域をガイドします(与板町ガイド会)」の画像
与板地域をガイドします(与板町ガイド会)
兼続とお船のふるさとを私たちがご案内します。城下町・与板を一緒にめぐりませんか?

天地人ゆかりの地 栃尾地域

 兼続が薫陶を受けた名将・上杉謙信は、19歳で春日山城主(新潟県上越市)になるまでの青年期を栃尾で過ごし、「義」の精神を育んだ。兼続は謙信の意志を継ぎ、生涯自らの「義」を求め続ける。

「栃尾城跡」の画像
栃尾城跡(謙信公旗揚げの地)
謙信公は、青年期を栃尾で過ごし、この栃尾城跡で初陣の旗揚げをした。やがて越後の国主となり、関東管領へと覇権を広げてゆく。
「常安寺」の画像
常安寺
天文16年(1547)、謙信公によって創建された古刹。開山は謙信公の学問の師であった門察和尚。
「秋葉神社」の画像
秋葉神社
天文20年(1551)、謙信公が常安寺の守護神として遷宮した神社。かつて江戸幕府から火防日本総本廟の称号が与えられた。日本一の火伏せ(火防)の神。
「秋葉公園(謙信公銅像)」の画像
秋葉公園(謙信公銅像)
秋葉公園の南側に、「越後の虎」と呼ばれた謙信公の銅像が栃尾城跡を背景に建っている。左手に数珠、右手に軍配団扇、腰には刀をさしています。謙信公像は生き生きとし、おとずれる人々に幾度かの戦いでの勇猛果敢な姿を想像させてくれます。
「瑞麟寺跡」の画像
瑞麟寺跡
軍事の傍ら瑞麟寺で修行した上杉謙信公は、ここで「義」の信念を見いだしました。
「謙信廟」の画像
謙信廟
大正4年(1915)、秋葉山の頂上に謙信公を祀る祠と、その登り口に石造りの大鳥居を建設。
「道の駅R290とちお」の画像
道の駅R290とちお
栃尾ならではのお土産を買えるなどのほか、多くのイベントも行われております。
「上杉謙信」の画像
上杉謙信
戦国動乱のころ越後の虎と恐れられていた武将。幼い頃、栃尾で暮らし、勇猛果敢な魂の礎を養いました。

天地人ゆかりの地 小国地域

 直江兼続の実の弟「樋口与七」は、上杉景勝の命で坂戸(現在の新潟県南魚沼市)から、小国地域を治めていた小国氏に養子に入り、名を「小国実頼」と改めた。後に天神山城主(新潟市)となり、苗字を「大国」へと改める。

「小国氏発祥の地の碑」の画像
小国氏発祥の地の碑
名族小国氏の居城がこの一角にあったともいわれており、戦前にはこの場所に小国城跡地という木柱が建っていたという。現在はおぐに森林公園が広がっている。
「おぐに森林公園」の画像
おぐに森林公園【⇒遊ぶへ】
大きな森の中で、ゆったりと森林浴。
約80haの園内には、キャンプサイトやプール、バーベキュー場などがある。その他宿泊施設も完備し、園内には食堂や日帰り入浴施設「養楽館」、小国の特産品・小国和紙を展示した「紙の美術博物館」もある。

天地人ゆかりの地 三島地域

 直江兼続の居城があった与板城跡(城山)からほど近いところに位置する三島地域。上杉謙信公や直江兼続が、出陣前の戦勝祈願に立ち寄ったといわれている。

「寛益寺」の画像
寛益寺【⇒神社・仏閣へ】
兼続の居城・与板城跡(城山)から3kmほどのところにあり、出陣前の戦勝祈願に、この寛益寺と日吉神社へ参拝していたと伝えられている。
「日吉神社」の画像
日吉神社
三島逆谷にある日吉神社には、「直江山城守兼続奉納の木像が、神社の宝物としてある」と語り継がれてきた。現在も御神宝として大切に保存されている。