蒼柴神社の創始は、長岡藩3代藩主牧野忠辰(ただとき)公が、神道を深く信じ、没後、京都の吉田管領家から蒼柴明神の神号を贈られたことにはじまります。
嗣子忠寿(ただかず)が忠辰公と、公の特に尊崇された事代主命(ことしろのぬしのみこと)を、城内に社を建てて祀りました。
後に9代藩主忠精(ただきよ)が忠辰の50回忌に当り、現在の地に日光東照宮を模して権現造りの社殿を完成させこの神社を移しました。社殿は幾度かの戦火にも燃えることなく当時の姿をそのまま残しています。
周辺の見所
・悠久山神祠碑
悠久山は俗に「お山」と呼ばれ、長岡の人々に親しまれている。9代藩主牧野忠精は、天明元年(1781)、ここに蒼柴神社を建立し、この地を悠久山と名づけました。
この碑には、蒼柴神社の祭神、牧野忠辰の事績と追念が記されています。忠辰は3代藩主として内政を整えた名君で、没後、「蒼柴霊神」号が贈られ、のちに「大明神」を追号されました。
・招魂社
北越戊辰戦争と西南の役の旧長岡藩士犠牲者を祭祀しています。北越戊辰戦争では、軍事総督河井継之助、大隊長山本帯刀をはじめ、三百余名の藩士が戦死しました。西南の役では、徴募に応じ、殉じた一等少警部池田九十郎ら18名が慰霊されています。
この招魂社は、明治7年6月に造営され、現社殿は明治45年9月に改築されました。
・牧野家歴代の御霊廟
長岡藩主牧野氏歴代の墓碑群で蒼柴神社脇にあり、2代藩主忠成から11代藩主忠恭までの間17基の墓碑が建っています。
この墓碑群は、昭和58年東京三田の旧長岡藩の菩提寺であった済海寺から悠久史蹟保存会によって移されたものです。