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明治26年(1893)に東中野俣の諏佐嘉右エ門嘉継によって奉納された自問自答の数学の額です。
算額とは本来、数学者が数学を研鑽できたお礼に奉納したものですが、研究発表の手段が無かった江戸時代においては唯一の発表の場でもありました。従って参詣者の多い神社仏閣に多く奉掲されました。世界にも例のない日本独特の習慣で、これが日本数学(和算) が世界に伍して劣らない高等数学を築きあげる大きな要因ともなりました。県内では25面から30面しか現存しておらず、それだけに貴重なものです。
この算額には3間の問題と解答、それに解法が記されています。問1は、平面や球体などの総積から各図形の辺の長さを求めるものです。問2は、扇状の弧や径を求めます。問3は問2と同様です。問1はその答えが3,4,5,6,7,8と順に並ぶきれいな問題で、算額の典型的な例です。
奉掲者の嘉継の本業は医師でしたが、そのかたわら和算の研鑽に励みました。師匠は最上流の流れをくむ魚沼の富所政継で、算額の中には近隣の門弟42名の名が記されています。和算の最後を飾る数学者といえます。父は俳諧で名高い諏佐長山、母は画家の卯香です。
<長岡市指定文化財>