長岡市男女平等推進センター ウィルながおかでは、令和2年11月2日~令和3年3月31日に、ウィルながおかが20周年記念プレイベントとして「ミニ展示 SDGsを読もう~目標5 ジェンダー平等を実現しようを中心に~」を開催しました。
このミニ展示にあわせて、北京会議に参加した方々(樋熊憲子さん、本間初江さん、神保みゆきさん、鈴木敏子さん、荻野茂子さん)からご協力いただき、北京会議の資料を中心に、その後ジェンダー平等に向けた取り組みなどを紹介しました。
北京+25とは?
▲北京+25の展示
平成7年に開催された第4回世界女性会議は、中国の北京で開催されたことから「北京会議」と呼ばれています。この会議には世界各国から4万人を超える女性が集まり、長岡市からも10人以上が参加し、国際的な男女共同参画の取組の規範となる「北京宣言」・「行動綱領」が採択され、以降の世界の取り組みの指針となりました。
長岡市でも、北京会議が大きな転換期となり、平成13年の「長岡市男女平等推進センター ウィルながおか」の開設、平成23年の「長岡市男女共同参画社会基本条例」の施行など、男女共同参画の取り組みを進めてきました。25周年の節目に当たる令和2年(2020)は、コロナ禍ではありましたが、「北京+25」として、これまでの課題を振り返る様々な取り組みが行われました。
ここでは、ウィルながおか20周年記念事業第一弾として、北京+25の展示を展示目録と写真でご紹介します。
資料目録にある資料は、ウィルながおかで閲覧可能です。お気軽にお問い合わせください(0258-39-2746)。
展示目録(北京+25)
主な展示物(No.は目録掲載の番号です)
▲A1版。表面が会場図、
裏面が広域図となっている。
▲表紙(左)、本文(右)
中国語と英語で表記。 |
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▲PROGRAM BOOK |
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▲FINAL REPORT |
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▲SCHEDULE OF ACTIVITIES |
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(7)女性NGOフォーラム北京’95から25年 参加者の声から・No.17~19、21、22
第4回世界女性会議NGOフォーラムが北京(懐柔県)で開催されるということで、熱い想いと期待をもって参加しました。熱気のあふれるワークショップの会場で世界各国の女性たちの行動を目の当たりにしました。私たちの活動は「草の根」で小さいけれど世界の女性たちとつながっているのだと、私の中の意識は大きく変わりました。大きなパワーをもらってきました。帰国後、「北京行動綱領」と「北京宣言」が採択された成り行きを学習することで、改めてNGOの活動が重要だと思い今に至っています。
2020年、「北京行動綱領」の12の重大関心領域は未だに解決されていない課題がますます山積されています。この機会にF&Mながおか市民会議では「北京行動綱領」を学習しています。課題解決に向けては「ジェンダーの主流化」はあらゆる政策に重要であり、持続可能な社会にむけて不可欠ということを再確認しています。(樋熊 憲子)
25年前、結婚後も仕事を続け、三人の子育てに追われて社会とのつながりは仕事のみの生活でした。日々忙しく自分を振り返る余裕もなく、狭い視点しかないことにも気づかず
過ごしていた私に北京会議に参加の誘い。職場を一週間休んでの参加は、周りの人たちの協力の賜物です。
世界中の女性たちが集った会場は、それぞれの置かれている立場や問題点を訴え語っている女性たちの熱気に包まれていて、女性の人権問題や地位の向上など考えさせられる内容ばかり。女性たちがエンパワーメントして、広く発信し行動していく重要性を感じました。
その後F&Mながおか市民会議の会員になり、男女共同参画やジェンダー平等などについて学び続け、仕事だけでは巡り合えなかった方々との交流の中で、刺激を受け成長させてもらいました。今後も仲間の皆さんと一緒に問題提起をしたり、より多くの女性が意思決定の場につく社会の実現を願って歩いていきたいと思います。(本間 初江)
国際家政学会が北京世界女性会議NGOフォーラムでパネルディスカッションをもつと、日本家政学会に参加要請があり、国際家政学会の一員として参加した。私が会員の女性
労働問題研究会もワークショップをもった。あとは、A4版30頁と200頁のプログラムや地図と首っ引きで熱気溢れる広い会場を回った。「日本の女性は学歴も高いのにどうして結婚すると仕事をやめるの? 開発国の、先進国の、中国の女性たちが疑問を投げかけてくる」。当時の報告に私はこんな文章を載せている。
縁あって「長岡市男女共同参画社会づくり推進懇談会」座長を委嘱され、2001年3月に「ながおか男女共同参画基本計画―男女平等と共同参画をめざしたまちづくり―」を提言した。「北京宣言及び行動綱領」の理念を反映させることができた。その10月、男女平等推進センター「ウィルながおか」が設置された。来秋20周年を迎える。
国際的な動向、わが国のジェンダー平等の達成度や施策の遅れを把握しながら、なお長岡におけるジェンダーをめぐる諸課題についても考えていきたいと思う。(鈴木 敏子)
家庭の事情で離職した私は、当時女性が仕事を辞めることが当り前とする考え方に息苦しさを感じていました。そして「F&Mながおか市民会議」に入会し、好奇心もあり北京女性会議へ参加。盛大な開会式、テント村でのワークショップを巡りながら、熱を込めて議論し語る女性たちの姿に、悩んでいるのは私だけではないんだ、世界にこんなに仲間がいるのだという連帯感を感じたのです。
その後、私は地域の公民館で福祉コミュニティを推進する仕事をしました。北京女性会議でも「高齢者も主体的に生きること」や「社会との関わりの大切さ」「高齢者の人権擁護」について各国で課題になっていました。戻ってからもそれらを念頭におきながら、日常の仕事をしていたように思います。
現在私は、定期的な勉強会などに参加しています。長岡市の「男女共同参画社会基本条例」の現状や、ジェンダー平等が日常生活、慣習、行事、行政刊行物、家族、教育などの現場でどう位置付けられ進められているか、講師を交え皆で話し合っています。なかでも女性議員、官公庁、企業、団体などの女性管理職の占める割合の低さは残念に思います。能力のある女性も男性も沢山います。5対5にしてほしいです。(神保 みゆき)
1995年の秋、私は北京にいました。第4回世界女性会議にNGOメンバーの一員として参加していたのです。高く澄んだ秋空の下、世界中の女性たちが一堂に会した中、高らかに宣言された「女性の権利は人権だ!」はとても衝撃で、私のその後の原動力となりました。懐柔県で開催されたNGOのワークショップでは、いろんな国の女性たちが様々な形で自分たちの活動についての発表や報告をしており、それを目の当たりにした時「そうかこれでいいのか!」、どんなに小さくても完璧でなくても、先ず“思いを形にする”所から始めればいいのだと気づかされたのでした。私の参加課題は“女性への暴力”でしたので、そこから長岡に「女性と子どものための相談支援活動」を立ち上げる事に拍車がかかり、1999年に「女のスペース・ながおか」を立ち上げ、北京会議から25年、女のスペース・ながおかの活動は21年目の秋を迎えています。(荻野 茂子)
(8)第4回世界女性会議 女性NGOフォーラム北京’95参加報告集 北京そこでみたことさまざま(1995)・No.23
▲長岡市企画課女性政策室が編集・発行。
(人権・男女共同参画課の前身)
10人の個人レポートなどを掲載している。
(9)女性学 在 長岡(縮編版)(1995)・No.24
▲女性NGOフォーラム北京’95に
参加するに当たって作られたパンフレット。
フォーラムで配付された。 |
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