最終更新日 2023年4月1日
【プロフィール】 1954年生まれ。東京大学大学院建築学専攻修了。1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。東京大学教授を経て、現在、東京大学特別教授・名誉教授。 1964年東京オリンピック時に見た丹下健三の代々木屋内競技場に衝撃を受け、幼少期より建築家を目指す。大学では、原広司、内田祥哉に師事し、大学院時代に、アフリカのサハラ砂漠を横断し、集落の調査を行い、集落の美と力にめざめる。コロンビア大学客員研究員を経て、1990年、隈研吾建築都市設計事務所を設立。これまで20か国を超す国々で建築を設計し、(日本建築学会賞、フィンランドより国際木の建築賞、イタリアより国際石の建築賞、他)、国内外で様々な賞を受けている。その土地の環境、文化に溶け込む建築を目指し、ヒューマンスケールのやさしく、やわらかなデザインを提案している。また、コンクリートや鉄に代わる新しい素材の探求を通じて、工業化社会の後の建築のあり方を追求している。 |
【長岡市との関わり】 2012年4月オープンの「シティホールプラザアオーレ長岡」の設計者。 設計にあたり、かつての長岡城が開かれた城であったことから、市民の活動の場に市役所が溶け込んだ「コミュニケーション空間」を設計コンセプトとした。建物の中の特徴となっている『中土間(屋根付き広場)』の活用についても、市民を対象にワークショップを開催。また、摂田屋地区の修景デザインを手がけたり、2011年2月には「エンジン01文化戦略会議オープンカレッジin長岡」では、「未来は僕らの手の中~電脳都市へ」にゲスト出演している。 |
越後長岡応援団は、令和6年3月31日をもって終了となりました。
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